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flurryのメモ

2013-09-12「複数の学術団体が出した報告書」? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

この辺の話題について気になった点をすこし。比較的重箱の隅系。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/consensus.html

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130829#p1

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130907#p1

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130912/p1

NATROMさんは、"Indoor Air Pollution: An Introduction for Health Professionals"*1のことを「複数の学術団体が出した報告書」などと書いていますし、一方でsivadさんは「AMA1994年報告書」などと書いています。

  • この文書は医療従事者向けのブックレット(小冊子)「手引き」であって公的な報告書ではない気がします。MCSに批判的なQuackwatchのStephen Barrettも同様の指摘をしていたと思います。*2
    • ひょっとしたら、何かこのブックレットの元になる報告書があって、私がそれを知らないだけかもしれません。ご存じのかたはよろしくお願いいたします。
    • ですので、このブックレットの該当部分においてはMCSおよびClinical Ecologistに対して比較的好意的、擁護的(この辺の書きかたは難しいですが)な記述がされていると私は読みましたが、それがたとえば「1994年にAMAがMCSを公認しClinical Ecologistを公的に擁護していた」とか、そういったことを意味するとは思いません。
  • あと、このブックレットは"Co-sponsored by: The American Lung Association (ALA), The Environmental Protection Agency (EPA),The Consumer Product Safety Commission (CPSC), and The American Medical Association (AMA)"ですが、それぞれ、肺の健康を促進するための非営利団体*3環境省政府機関)、消費者製品安全委員会(政府機関)、アメリカ医師会であって、学会などの学術団体ではない気がします。あとAMA単独での冊子でもないかと。
    • AMAはJAMAという権威のある学術雑誌を発行しているように学術的な性格も強いっぽいですが。あと、学術団体でないから言ってることが正しくないとかそういうことを言いたいわけではないです。とりあえず書きかたの問題ということで。

問題となってるFAQの内容自体についてはまた今度。

*1http://www.epa.gov/iaq/pubs/hpguide.html

*2http://www.quackwatch.org/01QuackeryRelatedTopics/nejac.html

*3:余談ですが、もともとは結核対策に取り組んでいた団体で複十字マークを使っています。http://www.lung.org

2013-08-02(メモ)確定診断とかゴールド・スタンダードとか このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

  • 【注意】筆者は医療関係者ではありません。個人的なメモであり、内容が正しいかどうかについてはまったく保証しません。

経緯

北里大学の坂部氏による発言の解釈をめぐるところから議論がスタートします。(実際のツイートについては、この辺りからたどっていただけると。ただ、枝分かれしているのでたどるのが大変かもしれません。https://twitter.com/flurry/status/361317630688243712

クリーンルームでの確定診断】

「(クリーンルーム内での二重盲検に基づく負荷試験による)検査が最も確定的で客観性のある検査だと考えています」

http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2510dir/n2510_03.htm

  • (この発言についての私の主張)
    • 「確定診断」(下の用例1)とあるので、「疾患である」ことを示す検査であっても、「疾患ではない」ことを示す検査ではないのではないか。
    • つまり「検査が陽性→疾患である」は言えても「検査が陰性→疾患ではない」は言えないのではないか。
  • (NATROMさんの主張)

この議論から派生して、以下の論文概要をどう解釈するかが現在の焦点となっています。

診断のゴールド・スタンダードは負荷試験であるが,これも自覚症状の変化を判定の目安として使わざるを得ない.そういう制約はあるが,我々の施設ではこれまで化学物質負荷試験を,確定診断の目的で施行してきた.

http://jja.jsaweb.jp/2009/058020112j.html

坂部氏の文章の解釈を問題としたときと同様に、

  • (私)「確定診断とあるので、『検査が陰性→疾患ではない』は言えない」
  • (NATROMさん)「ゴールドスタンダードと書かれているので『検査が陰性→疾患ではない』となる」

となります。

「確定診断」について

  • 用例1(私の現時点での理解)
    • 「○○という病気である」と診断すること。「○○という病気ではない」という診断(除外診断)とは別。検査の場合は「検査が陽性 → ○○という病気である」ということになる。
    • 検査が陰性だった場合に何も言えないということは意味していません。何かしらの蓋然性に基づく情報なりが得られるのではないでしょうか。
  • 用例2(?)
    • よく知らないのですが、「確定診断」の一語で除外診断も同時に意味するという用法もあったりするんでしょうか?

「ゴールドスタンダード」について

この用語の意味がわからなかったので簡単に調べてみました(本当はNATROMさんにどこか出典を示してもらうのがいいと思うのですが)以下は現段階での私の理解です。

  • 用例1(「標準的な手法」)
    • 先日「ステッドマン医学大辞典」を立ち読みしたところ、「信頼度が十分に高く、医師間で標準とみなされた手法を指す俗語」みたいなことが書いてあった気がします。うろ覚えですが。まあ、これは英語の意味から類推しやすい気がします。
      • (追記)コメント欄で教えていただきました。本質的ではないと思いますが、かなり違いますね……
  • 用例2(「参照基準」)

定義上、ある診断方法をゴールドスタンダードと定めると、その診断法は感度100%特異度100%の検査だということになります。「その診断方法を基準にしましょう」という意味。

http://twitter.com/NATROM/status/362502353808658434

    • EBMとか臨床疫学とか臨床研究デザインの分野とかだと、ゴールドスタンダードという用語は、用例1に加えてさらに「基準となる検査方法」という特別な意味を持つようです。何を測るための基準=モノサシかというと、「他の」検査方法の信頼性になります。
    • たとえば、悪性腫瘍の診断に際して、組織の病理検査(一般的に「決め手」とされるが、患者への負担が大きいし、そもそも実際に手術しないとならなかったり)をゴールドスタンダード=基準にして、何らかの血液検査(患者への負担が小さい)による診断について評価するといった場合ですね。
    • ある検査手法の正しさを評価する際には、「診断:陽性/陰性、病気:あり/なし」( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130314 )の2×2の表を用います。ここで「でも、そもそも病気のあり/なしって、どうやって見分けるの?」という疑問が湧いてきますが、「病気である=ゴールドスタンダードで陽性」「病気でない=ゴールドスタンダードで陰性」と、とりあえず『定義』することで、その検査手法について(ゴールドスタンダードと比較した)正しさを評価することが出来るようになるわけですね。

で、「負荷試験がゴールドスタンダードである」と書いてある→「検査で陰性→疾患ではない」は言える?

で、くだんの論文概要( http://jja.jsaweb.jp/2009/058020112j.html )に話題を戻します。現段階での私の意見はこんな感じでしょうか。

  • (以前からの主張)「確定診断」とあるので、「検査が陰性→疾患ではない」は言えないのでは。
  • 彼らが実施してきた負荷試験は標準化されているようには見えないし(「プロトコル標準化が行われるべきである」みたいに結論に書いてあるので、世の中一般にもまだ存在してないように見える)ここでの「ゴールドスタンダード」を(用例2)のような狭い意味で解釈するのは難しいのではないか。
  • (もし、仮に)「該当部分は『何らかの適切にデザインされた負荷試験はゴールドスタンダード(用例2)たりうる』 という信念について述べているにすぎない」と解釈してみたとしても……
    • いやそれ、何を意味するの……っていう。めんどいので後まわし。

kubotakubota2013/08/06 15:58通りすがりですが、ステッドマン医学事典では「最も有用であると広く認められている方法を記述するのに用いられる俗語」とあります。

flurryflurry2013/08/06 18:12わ、ありがとうございますー!

flurryflurry2013/08/08 15:37通りすがりのものですが、基礎医学、臨床医学ともに、flurryさんのお調べになられた使い方が一般的だと思います。感度100%特異度100%なんて検査や実験方法なんて存在を想定するのは、普通の医学者は考えていないと思いますよ。
一応、臨床医学、基礎医学の両方で活動してきた経験のあるもので、恥ずかしながら、"gold standard"という言葉を、拙著の英文レビューで使用した経験がありますが、flurryさんのおっしゃる意味で使用していました。
議論の詳しいことはフォローしていませんが、お相手の方と、良い解決点が見つかるといいですね。

Afro floorladyAfro floorlady2013/08/08 15:50あれ?上のコメントの名前が、flurryになってしまっていますね。名前欄を空欄にしたからかな?こちらのネームで宜しくお願いします。ちなみに、たとえば基礎医学で、どんな使われ方をするかと言うと、「1990年代のapoptosisの判定のgold standardはtransmission electron microscopyによるultrastructuralな所見、すなわち、chromatin condensationの存在と、初期には比較的intactな細胞質所見」とかなんとか。まあ典型的なapoptosis, necrosisが綺麗に分かれるわけではなく、spectrumをなしていると言うのは当初から言われていましたので、100%の特異度でも感度でもありませんでしたがね。当時、利便性の高かったDNA電気泳動の感度の悪さや、特異度の低さ、TUNELアッセイといわれるものの特異度の低さと解釈の難しさが指摘されていたことに対して、TEMの方が、形態学を主体とした情報量が多いよ、というくらいの感覚で、周囲の学者は使っていましたね。懐かしいな。

flurryflurry2013/08/08 17:45わー、ありがとうございます。あとでコメントをじっくり読ませていただければと思います。コメント欄の名前のデフォルトがflurryになってしまうのは知りませんでした……

Afro floorladyAfro floorlady2013/08/08 20:24こちらこそ、もろもろの貴重な情報を有難うございます。
一応、公平性のために、お相手の方の気持ちも汲んで、補足させておいていただきますね。
数学でも何でもそうですが、物事の定義には、大体、「狭義の定義」と、「広義の定義」が存在することが多いですよね。
医学検査や判定基準に、もしも理想的なものがあると仮定すれば、100%の特異度、100%の感度の検査を、「狭義の定義」でのゴールドスタンダードと考える考え方に異論はありません。(まあ、そもそも、ゴールドスタンダードという言葉自体が、医学論文でも「比喩的」にしか使われない、non-technical termなので、厳密な言い方もヘッタクレもないのですが)。
一つ前のコメントの例でも書きましたように、何かの生物学的現象や、あるいは、臨床診断というのは、ある程度の広がりを持ってスペクトラムとして存在していることも多いし、そもそも検査や実験手法と言うのが、程度の差こそあれ、すべからく、誤差や不確定性やノイズというものを内包しているので、一般的には、ゴールドスタンダードも、もっと広義の定義として使われることが多いと判断していてOKだと思います。
お相手の方のロジックは、この、狭義の定義が、途中から、広義の定義に摩り替わっていて、厳密なロジックではない、というところに、行き違いでもあるのでしょうかね?

flurryflurry2013/08/08 22:02たびたびありがとうございます。「感度100%特異度100%」「基準となる」ですが、私は本文にも書いたように、他の検査方法を評価するための基準だと思っていたのですが、先方は実は「その検査方法を基準として病気それ自体を定義する」という意味での「基準」「100%」と考えているのではないかとも想像しています。……相手に直接訊ねるのが早いとは思うのですが。

情報屋情報屋2013/08/09 00:44別の通りすがりのものですが、gold standard という用語は、コンピュータ関係の論文では良く出てきます。
通常の場合、その意味は「参照基準」で、人間の判断を gold standard として、コンピュータの結果と比較することが多いです。
「標準的な手法」の意味で使用することもありえると思いますが、私は見た記憶がありません。

Afro floorladyAfro floorlady2013/08/09 04:09flurryさん
何の病気のことが、どう議論になっているのか、あまりフォローしていないのですが、難しい問題が議論に絡まっているようですね。
まあ、多くの病気にとって、100%の特異度の診断基準というのは、難しいこともあるでしょうね。病気の定義や概念も、時とともに変遷していくことも、ままありますし、スタンダードだった診断基準や検査が、そうでなくなって行くこともあるわけですから、flurryさんのおっしゃる使い方もしっくりと来ますね。
ちょっと私の書き方も、誤解を生む書き方だったかな。上に出したapoptosisのgold standardの場合、WyllieやKerrたちがこの現象をcharacterizeした当初(本当の第一発見者は19世紀のFlemmingやNissenと言われてますが)、ultrastructureによる分類を頼りにしていたので、TEMをgold standardにした、という部分はありますね。ただ、研究が進むにつれ、対比されるnecrosisと必ずしも、綺麗に分かれない部分も出てきて、形態学上はスペクトラムをなしていることが分かってきたし、その形態に至るいろいろなメカニズムが詳しく分かってくると、apoptosisという言葉の使い方もだんだんファジーになってきて、比較的緩く使う人と、厳密な形態学上の定義に従う人と、混在してきた時期がありましたね。まあ、確かに語句の正確な使用は大事なんですが、基礎医学の場合、あまり重箱の隅をつつくよりは、みんなで新しいものを発見していきましょう、とか、本質を理解していきましょう、という流れになることが多いので、ゴールドスタンダードの議論が、本質の理解上大事な事項にならない限り、暗黙のうちに棚上げされることもあるような気はしますね。
上手く議論が解決していくといいですね。

flurryflurry2013/08/09 11:48>Afro floorladyさん
そうですね、いろいろと工夫してみます……>『上手く議論が解決していくといいですね』 どうもありがとうございました。

flurryflurry2013/08/09 11:50>情報屋さん
なるほどです。どういう分野かよく分かってないのですが「人間が判断すること」が重要だったりするのでしょうか……

情報屋情報屋2013/08/09 21:39人間の判断かどうかは重要でないです.
どちらかというと,「完全に正しい訳ではない」ということを暗に示しています.

画像認識やスパム判定の精度は,人間の方がコンピュータより高いです.
そのため,こうした分野ではコンピュータで人間並みの精度が出せるように頑張る訳です.
しかし,中には人間でも100%の精度で判定できない問題があります.

例えば「字がきれいかどうか」をイエスかノーで判定する場合,判定基準が人によって変わりますし,同じ人がやっても,時間がたてば結果が変わるかもしれません.
そのため,「完全な正解」というものは存在しません.

コンピュータで「字がきれいかどうか」を判定させるプログラムを作り,その性能を評価する場合,ある人の判定(もしくは複数人の多数決の結果) を「正解」とみなして,コンピュータの性能を測ります.
この「正解」を gold standard と呼びます.

これから類推すると,ある検査を現実にはありえない「感度100%、特異度100%」の検査とみなすことを gold standard と呼ぶのは,私には納得のいく表現方法です.

2013-07-12重箱の隅 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

NATROMせんせいの「水俣病化学物質過敏症は異なる」( http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130711#p1 )でUpToDateとかいう医療情報データベースの翻訳を載せてらっしゃったのですが。

Unproven therapies ― The variety of treatments dispensed by clinical ecologists is limited only by their imagination and resourcefulness [25]. These include avoidance of chemicals, environment changes, special diets, over-the-counter or prescribed medications, sublingual ingestion or subcutaneous injection of small doses of an alleged offending chemical, and detoxification procedures. Some interventions cause iatrogenic effects and can seriously disrupt the lives of patients. There is no justification for these treatments.

(訳:証明されていない治療法 ― 臨床環境医によって施行される処置の種類は、彼らの想像力と臨機応変さだけによって制限される。 これらは、化学物質からの回避、環境変化、特別なダイエット、市販薬もしくは処方された薬物、嫌疑のかかっている化学物質の小用量の舌下もしくは皮下投与、デトックスを含む。いくつかの介入は、医原性の影響を引き起こして、患者の命を深刻に途絶しうる。 これらの処置を正当化する理由は存在しない。)

  • "diet"は減量という意味でのダイエット和製英語)ではなくて、食事とか食物療法とかじゃね。
  • "Some interventions (略)can seriously disrupt the lives of patients" を「患者の命を深刻に途絶しうる」と訳してるんだけど、QOLクオリティ・オブ・ライフがそうであるように、ここのlifeは患者の生命じゃなくて「生活」じゃないすかね。代替医療の高額な費用とか、山奥に引っ越すことによる社会的な影響とか。健康への直接的な影響が懸念される場合は、healthがdamegedとかの書きかたになるような。

flurryflurry2013/08/08 17:43いろいろ書きかたはあるだろうけど、まあdisruptは違うだろ、ということで……

2012-02-19平川秀幸「科学は誰のものか 社会の側から問い直す」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

http://www.amazon.co.jp/dp/4140883286 (62-67ページより)

BSE問題が引き起こした「信頼の危機」

このような参加型テクノロジーアセスメントの登場に見られる欧州の「統治からガバナンスへ」の動きは、1996年のある事件で一気に加速されることになる。いわゆる「BSE牛海綿状脳症)危機」だ。

86年に英国で発見されたBSEは、長らく牛から人への感染はないとされてきた。初期に調査を行った政府のサウスウッド委員会は89年2月に報告書を発表し、「人への感染リスクは極めて小さい」と結論づけた。政府はこれを根拠に安全性をアピールし続け、「安全宣言を危うくする恐れがある」という理由から何ら予防措置を施さなかった。その背景には、英国畜産業への打撃を恐れた当時の英国政府の思惑があったことが、後の調査で明らかになっている。

実をいえば報告書は、「評価が誤っていれば、その含意は極めて深刻」「長い潜伏期間を考えると、完全な証明は10年かそれ以上かかる」「人への感染の可能性を完全に排除することはできない」とも述べていた。しかし、この可能性が現実的なものだと主張できるだけの説得力のある証拠はなかったこと、また上述のような政治的思惑もあったことから、この但し書きは無視され続けたのだった。

そして結果は科学者たちが懸念していたとおりとなった。BSE感染牛を食べたことが原因と考えられる新型の人の脳症(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)の例が次々と見つかり、ついに96年3月20日、英国政府BSEが人にも感染することを公式に発表せざるをえなくなったのだ。その結果、政府だけでなく、科学者や科学そのものに対する深い不信が、英国民、さらには欧州市民のあいだに広がることになった。

そして、これに追い撃ちをかけるようにしてわき上がったのが、遺伝子組換え作物の安全性をめぐる論争だ。世界に先駆けて商業栽培を開始した米国の組換え食品(トマトピューレ)が欧州市場に登場したのは96年2月のこと。すでに起きていたその安全論争を、BSE危機が一気に加熱させたのだ。消費者の不安は一気に広がり、英国王室のチャールズ皇太子から大手スーパーまで巻き込んだ反対・排斥運動が湧き起こったのだ。

これに対して英国をはじめとする各国の政府や開発企業、科学者たちは、組換え作物の安全性を訴えたが、BSE危機を経験した消費者には全く通用しなかった。なぜか。

一つには、食品やテクノロジーの安全性を保証するための科学が信用されなくなっていたからだ。安全といっても、それは現時点で知られている科学的証拠に基づいたものに過ぎず、BSEのように、今は知られていないリスクが将来明らかになるかもしれない。消費者はそのように考えたのだ。

また、政府や企業に対する消費者の不信感も根強かった。彼らは、自分たちの利益を守るために消費者の健康を犠牲にしているのではないかと疑われていたのだ。このような科学と政府・企業に対する深い不信感の広まりは、後に「信頼の危機」と呼ばれるようになる。


「理解」から「対話・参加」へ

こうした危機の結果として、英国政府や科学界を中心に起きたのが、科学技術に関するコミュニケーション科学技術コミュニケーション)の考え方やスタイルを「統治」的なものから「ガバナンス」的なものに抜本的に転換することだった。

信頼の危機が訪れるより前の伝統的な科学技術コミュニケーションのスタイルは、英国では「一般市民の科学理解(PUS: Public Understanding of Science)」と呼ばれている。1985年に同国の権威ある学術組織ロイヤルソサエティが発表した同名の報告書に由来する呼び名だ。日本では「科学技術理解増進活動」という。その一番の目的は、科学技術に対する一般の人々の興味・関心を高め、科学的な事実や基本概念、方法論についての正しい理解——「科学リテラシー」ともいう——を広めること。そうすることで、人々が科学技術に関連する日常生活や社会の問題について合理的に判断したり、科学技術に肯定的な態度をもつことが期待された。

そのスタイルは、大学や研究所、学会などによる講演会公開講座、科学博物館での展示やイベント、啓蒙的な雑誌や書籍、テレビ番組、政府からの情報提供など、「知識のある者から、ない者へ」という一方向的なもので、政治学的に見れば、まさにトップダウン的な「統治」のパターンが主流だ。

遺伝子組換え作物のときもそうだったが、新しいテクノロジーに対して人々が不安になったときに行われるのは、まさにこのタイプのコミュニケーションだ。その背後には、「一般市民は科学の正しい理解が欠けており、そのために不安になったりするのだ。だから正しい理解を広めれば不安はなくなる」という考え方が隠れている。これを科学技術コミュニケーションの「欠如モデル」という。これに基づいて「ご理解ください」=「安心して受け容れてください」と説得するのが伝統的なやり方だったのだ。

ところが、このようないわば上から目線的な「ご理解路線」「啓蒙・説得路線」のコミュニケーションは、信頼の危機を前にしては全く通用しなかった。

なぜなら、このコミュニケーションは、「すでに正しいと分かっている知識」または「現時点で正しいとされている知識」をもとにしているため、BSEや遺伝子組換え作物で問題となったような「未知のリスクがあるかもしれない」という不安や、「そもそも政府や企業、これらと結びついた科学者の言うことは信用できない」という不信感の前では説得力がないからだ。それどころか、「彼らは未知のリスクの可能性を無視して、BSEと同じ過ちを繰り返す気か」という具合に、余計に不信を買ってしまいかねない。

そして、こうした御理解・啓蒙路線からの転換として、英国政府や科学界が選んだのが、先の参加型テクノロジーアセスメントに代表されるような、科学者政府、産業界、一般市民らのあいだの双方向的な「対話」や、政策決定への「参加」を重視する「公共的関与(public engagement)」というスタイルだった。

英国では議会委員会が、この転換の必要性をアピールした二つの報告書を2000年、01年に相次いでまとめ、それ以降、公共的関与のための活動が全国的に推進されるようになった。欧州連合EU)でも2002年以降、欧州委員会の研究総局(日本の文部科学省に当たる)が、科学者たちと市民との対話促進のための「科学と社会」というプログラムを続けている。

Afro floorladyAfro floorlady2013/08/08 17:10不勉強にて、科学コミュニケーションの分野で、こういう議論があることを知りませんでした。とても身につまされる意見で、本当に勉強になりました。大変貴重な考え方、情報を有難うございました。

2011-09-20原発災害シンポジウムについての個人的なメモ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

先日、9/18に行われた日本学術会議の公開シンポジウム原発災害をめぐる科学者社会的責任」( http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/133-s-1-2.pdf )ですが、

などのまとめがすでに上がっています。また当日配布された資料については、非公式ですがスキャンしたPDFを以下のリンク( http://goo.gl/9ZemR )よりダウンロードすることができます。

このエントリーでは主に、パネリストの1人である唐木英明氏の発言および、氏と他のパネリストとの応答に焦点を当てた形で、わたし個人のメモをまとめたものを記しておきます。

唐木氏の発言に着目した理由ですが、わたしは唐木氏の発言には完全に反対の立場であり、それゆえ、氏の発言については注意して聞く必要がありました。(他のパネリストの方々の発言を聞くときのように「うんうん。そうだよね」とうなずきながら聞くというわけにはいかないので)また、唐木氏vs.他のパネリストというかたちで議論が進むことが多かったため、そのようなやりとりに着目することで重要な部分を抜き出すことができるのではと考えました。

注意!

以下の文章はわたしの断片的なメモと記憶に基づき再構成したものであり、議論の流れを分かりやすくするために編集を行っています。抜け落ちているところもありますし誤りもあるかと思います。ここに書かれた内容を元にパネリストの方々の「言質を取る」のは控えていただきますよう、お願いいたします。

あ、そうだ。あと「こんなことを話し合ってる暇があるなら……」的なコメントはなしということでお願いいたします。

第1部 各パネリストの個別報告における唐木氏の報告

  • タイトルには「安全の科学および先進技術の社会的影響評価」とあるが、時間の関係で前半の「安全の科学」に的を絞る。
  • リスクを取り扱うための、管理・評価・コミュニケーションの3要素について】*1
  • リスク評価について】
    • リスク評価には不完全性がつきまとうが、不完全だからといって評価ができないわけではない。
    • リスク評価のために必要な科学というのは、それほど大きな(多岐にわたる?)ものではない。
    • 価値観や感情、経済面からリスク評価に影響を与えようとする圧力がある。
    • 政策決定者が責任をリスク評価者に負わせる風潮がある。米国産牛肉の全頭検査についてなど。
  • 放射線リスク評価】
  • リスク評価の具体的な例として放射線について取り上げる。
    • 放射線影響研究所による原爆被爆者の身体部位ごとの発がん率、および原爆による寄与がどのくらいあるかを示すグラフを見せる)
    • 被曝量と発がん率の直線関係のグラフを見せて)高線量ではこの関係が成立するが、低線量でどうなるかはこの結果からはわからない。放影研は100mSV以下でどうなっているかは不明と結論している。
    • (直線関係に対して上下に幅を持つようなイメージ図を見せる)低線量での関係はわかっていないが、「最大限どの程度か」は分かっている。
    • ICRPはLNT仮説というのを唱えているが、これは「閾値がない」と考えれば/そういう風に考えようという、リスク管理のためのものである。
  • (「長期的被曝の影響は急性被曝より少ないという研究結果がある」という内容のスライドがあったが、一瞬表示しただけで説明せず、即座に次のスライドに移った)

第2部 パネリストによる全体討議

  • 【唐木氏の広報よこはまへのコメントについて】
    • (唐木氏)政府放射線防護の対策方針を決定したため、横浜市は市民にそれについて説明する必要があった。そのような説明に際しては学識経験者が必要とされる風潮であったためコメントを寄せた。
      • 私たちは誰でも宇宙からの放射線を浴びており、また、食品経由で摂取している。現在の横浜市の空間線量は宇宙からの線量と同じくらいである。だから心配する必要はないとコメントした。
  • 【押川氏と唐木氏のやりとり】
    • (押川氏)原発事故の放射線を自然放射線の線量と比較するというロジックがそもそも疑わしいのではないか。自然放射線原発事故の放射線が上乗せされると、LNT的には発がん率がそれだけ増加することになる。
      • リスク評価と、その評価結果をどのように判断するかという問題がある。(国立がん研究センターが示したような)リスクの比較は科学的ステートメントだというが、それ自体が政治的なものだとしか思えない。たとえば、数年前の秋葉原通り魔事件において、通り魔にあうリスクと喫煙の害を比較したひとはいなかった。
    • (唐木氏)横浜市の線量については、全体(自然+人工)の線量が宇宙からの放射線と同じであるため、上乗せはない。
      • 感情的な発言が多いですが、もっと科学的に発言いただけると、と思います。*5
  • 【専門科学者によるリスク評価の独占について】
    • (島薗氏)唐木さんはリスク評価は科学者だけでやると強調されたが、なぜ「だけ」なのか。狭い専門家だけで実施するとなると問題ではないか。
    • (唐木氏)リスク評価を科学者だけでやるのはどういうことかということについては、化学物質の安全性を例として説明する。
      • 化学物質は、どんなものでもたくさん食べると毒性が出る。徐々に化学物質の量を減らしていくと、あるときからまったく毒性が出ない量がある。動物実験によってこの量を見つける。しかし、実験動物の結果がそのまま人間に当てはまるかどうか。ここに不確実性がある。そこで実験で得られた値の1/100といった、非常に低い値を人間について採用する。
        • この辺に関して、専門分野ではない一般の方々や統計学の人たちが入ってきてもまったく理解ができないだろう。*6
      • リスク評価に消費者の代表を加えろという意見が少し前にあった。最近はないと思うが。しかし、そうなると業界の代表についてはどうなるか。それは科学ではないのではないか。
      • リスク評価というものは、リスク管理のほんのわずかな参考になるだけということを理解することが重要だ。
  • リスクの複合性について】
    • (小林氏)個々の化学物質についてのリスク評価は可能かもしれないが、複合性、複数の化学物質が関与するようなリスクについては、それぞれの物質の組み合わせの数が爆発的に増大してしまうため評価に限界がある。
    • (唐木氏)複合性については誤解がある。最初に複合性という言葉が話題になったのは有吉佐和子の「複合汚染」*7 病気の患者が複数の薬を服用する場合には確かにそのような危険性があるので、病院や薬局できちんと管理する必要がある。
      • しかし、残留農薬などの場合は、そもそも元の化学物質が閾値の1/100以下という低い濃度のものなので、そのような複合性についても気にする必要はない。
  • 原発リスク評価と放射線被曝リスク評価】
    • (島薗氏)小林さんは食品安全委員会を比較的高く評価していたが、放射線関連の委員会についてはどのように考えているか。
    • (小林氏)まったくダメだと考えている。一部の原子力関係者は外部とコミュニケーションをとらないとダメだと考えているが、全体としては双方向性はあくまで外付けのものになってしまっている。
      • 東北大で、原発賛成派と反対派による対話を行うという社会実験を行ったが上手く行かなかった。賛成側も反対側も、それぞれの役割というか社会構造の中にはまってしまっていて自由に議論できない状況があると思う。
    • (唐木氏)原発リスク評価と、放射線が健康に与える影響の評価とは、分けて考えるべき。原発リスク評価はまったくダメだった。
      • 放射線の評価については日本はなにもやっていない。なぜなら、ICRPがすでにそれをやっていて国際的なコンセンサスが出来上がっているからだ。原発にもICRPと同様のものが必要だと思う。
    • (島薗氏)ICRPによって解決済みだと唐木さんは考えているかもしれないが、私は反対だ。いまだ討議すべき領域だと考えている。
    • (押川氏)ICRPは唐木さんの言うリスク管理にも踏み込んでいることになる。小林さんが言うリスク管理と評価が分離できない例ではないのか。
  • 【ユニークボイス(専門家による一本化された意見)の是非について】
    • (唐木氏)学究の世界では異論は普通のことだが、「安全の科学」では少し違う。とにかく何らかの規制をしなければならないという事情がある。そこで、だいたい皆が一致しているところはどこかという所を探す。
  • 【押川氏、唐木氏の枠組みに疑念を投げかける】
    • (押川氏)ICRPは唐木さんの言うリスク管理にも踏み込んでいることになる。小林さんが言うリスク管理と評価が分離できない例ではないのか。
      • ICRPの基準が妥当かどうかとは別に、そもそもICRP勧告自体が日本で尊重されているのかどうかという問題がある。ICRPの緊急時の基準値を用いると言っているが、学校がやっているのは緊急時なのだろうか。緊急時ではなく現存被曝状況だと解するべきではないか。そうなると、基準値は1-20mSVという、もっと低いものになる。
    • (押川氏)実際に科学者の言動を見ていると、唐木さんの理想的なスキームとは違う。感情的と言われるかもしれないが、完全に中立な研究者はいないと思う。平川さん(平川秀幸氏)が言っていたが、立場によって科学者の意見は違うのではないか。
      • 物理学の立場からは科学は主観を排した立場でやるものだと思っていたが、現実、この状況を見ると、そうはなっていない。意図的に、幅広いスペクトル科学者から意見を集めるということをすべきではないか。
    • (司会の金井氏)押川さんがおっしゃった「この状況」という言葉には、科学者それぞれの揺らぎや、自分の依拠していたパラダイムへの疑いといったものが含まれるのではないかと感じた。そのことが、シーベルトを巡るポリティクスには見られるのではないか。*8
  • 【聴衆から受け付けた質問用紙での質問について】
    • (唐木氏)理系と文系がはなしをいちばんできるのは日本学術会議。今までやってこなかったので、もっとちゃんとやらないといけない。
    • (「1mSVであれ10mSVであれ、線量の限度は各個人が決めることではないか?」という質問)
      • (唐木氏)政府の役割は国民の健康を守るところにある。20mSV以上の地域について強制避難させるのは政府の大事な役割。それ以下は個人の裁量。
    • (「国立がん研究センターが出しているリスク間の比較について、喫煙など自発的要因によるリスクと、放射線リスクを比較するのは不適切ではないか」という質問)
      • (唐木氏)国立がん研究センターにはたくさんの批判が寄せられていると聞いている。喫煙が自発的要因かどうかというなら、受動喫煙はどうなのかという話にもなる。がん研究センターがリスクを比較するのは、リスクの比較を行わないとどこにいくら投資して良いかわからないから。
  • 【まとめの一言】
    • (唐木氏)原発については第4期科学技術基本計画でテクノロジーアセスメントを実施することになっている。*9

*1:ここでのリスク管理リスク評価・リスクコミュニケーションという3分類は、以降の全体討議においても用いられたので重要と言えます。

*2http://www.ncc.go.jp/jp/shinsai/pdf/cancer_risk.pdf の2ページ目

*3:『Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、施設の必要性は認識するが自らの居住地域には建設して欲しくないとする住民たちや、その態度を指す言葉』(Wikipedia

*4:個人的にはこの部分にもっとも腹が立ちました。

*5:会場で聞いていましたが、押川氏が感情的な発言をしていたとは感じられませんでした。

*6統計学のひともダメだと言われてびっくり。

*7:小林氏がいいたいのはそういうことではないと思うのだが。

*8:この人、美味しいところを持ってった!

*9http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/08/19/1293746_02.pdf の41ページ。『国は、東京電力福島第一原子力発電所の事故の検証を行った上で、原子力安全性 向上に関する取組について、国民との間で幅広い合意形成を図るため、テクノロジー アセスメント等を活用した取組を促進する』

*10:この部分についても、「ああ、このひと総動員って言っちゃうのか。『みんなで考えてつくっていこう』じゃなくて『国家が科学者を総動員する。科学者は国家に協力すべき』という発想のひとなのだな」と思いました。

Afro floorladyAfro floorlady2013/08/08 16:25面白い議論があったのですね。ご紹介有難うございます。押川さんは、実力・実績・公平性、どれをとっても本当にぴか一で、深く存じ上げているわけではないけれど、人格も、思考の深さや健全性もすばらしく、日本の学者が、こういう存在を大切にしなければならないと思える学者の代表格ですね。是非、これからも末永く、こういう場でも、本業でも活躍を続けてほしい。唐木さんは、現役の頃から尊敬しているけれど、原発事故の内部被曝の件で、あれ?と思うような発言が、少々気になりましたね。彼の立場がそうさせているのか、あるいは我々全体にいえることだけれど、年齢がそうさせているのか。薬理・生理学の分野で世界を引っ張ってきた方だし、ある意味、陽イオンというものの生体内挙動を一番詳しく知っている方なので、内部被曝に関して、もっと広い見方をできる方だと思っているんですがね。